2012年2月25日土曜日

新年明けましておめでとうございますwww

最近ふと思う

学生の時、嫌いな科目は苦痛でしかなかった、が何十年も経って、何を聞いても調べても面白い、何故だろう、頭の習熟度、必要性に迫られて、両方ともしくは、両方違う。

社会に出てからは、人に連絡とか説明事で、なんでもかんでも、情報を投げつけると、一応の責任は果たすが、相手に伝わっていないのは、伝え方が悪い等言われる。

教師って責任ないのかな、また何年も同じ内容を教えて、生徒が理解しているかどうかはお構いなしなのだろうか、その点予備校の教師は面白い、目的が教える事ではなくて、理解させる事にあるから、でも、短い期間では、嫌いな科目は、やはり理解度が悪い。

社会に出ると、資格を必要としない、肉体労働につかなければ、何かしら、読み物、書き物からは逃れることは不可能である、そんな理由から、文字活字に対する抵抗感が無くなり、理解する事ができるベースが出来るのだろうか。

私自身は、文字文章の意味必要性が当時全く理解できなかった、理科と算数は、無駄に好きで、どんなに無理のある説明でも、理解できたし、理解するつもりもあった、その科目の教科書は欄外の小さい文字も理解していた、不思議である。

昔は調べものは図書館に行くしかなかった、今はネットでできる、今の子供は賢いのだろうか、もしくは、私の子供の頃同様に、好きなことのみ、理解が深く、嫌なものは嫌なのだろうか、多分嫌いなものは嫌いなのだろう、でも、ネット環境や遊び道具が、ネット関連のゲームであったりするので、落ちこぼれのバカも、昔と今では、質も内容も異なるのだろう。

ゲームすると面白いし、なんとなく、その背景も理解してくる、授業でゲーム機を使うのは正しいと思っているし、もっと言うと学生生活や社会生活もゲームとして考えて、どうすれば、理解できて、よい点数が取れて成績があがって、どうすれば、客が振り向いて、物を売ることが出来るのかに、焦点が当たれば、しかも、長期間すれば、結果はおのずと違ってくる。

自分の子供が可愛くない親は少ないはずだが、完全指導する時間がないと親は言うだろう、実際問題時間もないだろう、でも親が良いヒントを与えてやらないと、その子供の成長は良くて普通程度だろう。